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第三十八話 崩れゆく均衡

Author: 月歌
last update Last Updated: 2025-03-20 11:00:00

◆◆◆◆◆

遥の意識が覚醒する。

息を整えながら視界を巡らせると、そこは 封印庫 だった。

(今のは……?)

額に浮かぶ冷たい汗を拭いながら、遥は呆然と天井を仰ぐ。

まだ頭の奥がぐらつくような感覚が残っていた。

「……幻……?」

誰にともなく呟く。

その瞬間、ふと 窓から差し込む赤い光 が目に入った。

赤い光――

(まだ幻想の中なのか……?)

心臓が跳ねる。

けれど、それは 夕日 だった。

封印庫の小さな窓から差し込む光が、長く伸びた影を床に描いている。

西の空には王城の屋根の向こうに沈みかけた夕日が見えた。

「……時間が経っていたのか……」

遥が言葉を絞り出した。

長くはなかったはずの幻覚体験。

しかし、それが終わるまでに 現実の時間は大きく流れていた のだ。

---

ルイスも額に手を当て、深く息を吐く。

まだ手足に力が入らない。

「……遥、お前も見たか?」

「……ああ、見たよ……。」

遥の声は震えていた。

確信があった――

魔王アーシェは、王族だった。

それを否定することは、もうできない。

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